神にも頼りたい。

1月後半に、所用で鹿児島の実家に帰省した機会を利用して、願掛けというか、自分の「覚悟」を神仏に伝えに行ってまいりました。神仏、といいますか、私にとってはキリスト様でもブッダ様でも八百万の神でもなく、西郷(隆盛)先生こそが神様のようなものであり、自分は「西郷教」の信者だと思っていますので、西郷先生のお墓参りをしてまいりました。福岡から鹿児島まで、RXの慣らし運転も兼ねてます。

西郷先生は、明治10年9月24日に、城山(しろやま)で自刃されました。また、九州中を転戦して回った薩軍兵士やその他従軍兵士の墓は、当初それぞれ各地に分散していましたが、のちに集められ、それが現在「南洲神社」としてまつられています。南洲神社に祀られているご神体は西郷先生自身であり、つまり先生はその意味では本当の「神様」なのです。

ちなみに、ふつうは自分の宗教を馬鹿にされたり、教祖にケチをつけられると立腹するものでしょうが、私はそういった境地を超越していますので(笑)、先生のことを馬鹿にされたりディスられても、全く腹も立ちません。ただひたすらに、尊崇するのみという心境です。

南洲神社に行くと、私以外にもぽつぽつと参拝者がいらっしゃいました。いくら「西郷どん」ブームといえども、神社まで大勢の観光客が訪れているという状況ではありませんでした(平日でしたし)。私もめったに来れないので、先生のお墓をナデナデしつつ(気持ち悪いとか言わない)、今年が自分にとって踏ん張りどころであること、覚悟を決めて活動するので、天からご照覧いただきたいこと、申し訳ないが私は命も欲しいし金も欲しいので、その点は許してほしいこと、などなどを心の中で語りかけ、なんとなくですが先生と心が通じた心境になりました(ストーカーの心境と同じとか言わない)。

改めて、今年2018年は、重要な年だなと思います。今年の結果が来年につながり、来年の「大事(だいじ)」を成せるかどうかにかかわってきます。今年をいい加減に過ごしてしまうと、来年泣きを見ることは明らかなので、神仏の力を借りてでも、頑張り抜く所存です。

今回は、西郷先生のお墓参りのみとなりましたが、今年中に先生に関連した場所であと2か所行きたいところがあります。

一つは田原坂の古戦場。もう一つは、中津藩士:増田宗太郎(宋太郎とも)の生家です。

田原坂は、西郷教徒でありながら一度も行ったことがないため、「西郷どん」の放送がある今年こそはと考えています。ただ、場所自体はメジャーなので、知っている・行ったことがあるという方も多いと思います。

増田宗太郎に関しては、今回南洲神社横の南洲墓地内にお墓がありますので、お墓参りは済ませてきました。決してウルトラメジャーな人物ではないので、「増田宗太郎って誰さ」と思う方も多いと思いますが、増田宗太郎は西郷先生の中心的な取り巻きの一人というわけではありませんが、今日に至るまで西郷先生の声望が衰えることがない、「大きな貢献」をした重要な人物だと私は考えています。

その貢献とは、「一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば 三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪 も死生を共にせんのみ。」という、大変有名な、かつもっとも西郷先生のお人柄を的確に表現した、これ以上ない名言を残してくれたことです。

たとえば、坂本竜馬も西郷先生を評して「小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る」と評していますが、これではいまいち先生の人柄に触れられた気がしません。増田の西郷評は、なぜ当時の世はもちろん、後世に至るまで西郷先生が人を惹きつけるのか、それを最も的確かつ詩的に表現していると思います。

きっと、大河ドラマ「西郷どん」でも、増田が中津隊を前にこの名言を吐くシーンが最終回近くで登場すると思います。誰が増田役を演じるのか知りませんが、今から非常に楽しみです。

あ、ちなみに私は西郷先生の書(掛け軸)を所有しております。本物かどうかはわかりませんが、文章は西郷先生の漢詩集にも掲載されている本物の漢詩が書かれています。別に偽物でもいいんです。

真も偽も死生を共にせんのみ。